世界遺産登録めざす

佐渡金銀山の世界遺産登録
一時見送りへ

2008年9月に佐渡金銀山の世界遺産登録へ
向けた暫定リスト入が発表されたが、その先
行きは不透明のようだ。何故なら平成19年7
月に世界遺産登録を受けた島根県大田市の石
見銀山と連携したかたちで世界遺産登録をめ
ざしたいとするが、島根県は官民一体で十数
年間の手塩にかけて育てあげた地域財産とし
ての思いが強く、今のところ易々の縁組とは
行かないようだと思っていた矢先、12月17
日のニュースで国は今回の広域的な世界遺産
登録を見送る方向を示した。その理由として
「統合する事で双方の価値が高まる形でなけ
れば、県民が納得しないだろう」とし島根県
側が国に調整を求めたものだ。佐渡はこの後
どのような方向性を見いだすのか注目される。
※その後、2010年11月22日に日本の世界遺
産暫定リストに「金を中心とする佐渡鉱山の
遺産群」として登録された。このあと諸手続
きを行いイコモスの現地調査が行われ、早け
れば平成29年世界遺産登録への可否が決定さ
れる。

石見銀山

石見銀山遺跡は、島根県のほぼ真ん中に位置
する大田市大森町を中心とし、旧温泉津町、
旧仁摩町を含めた現大田市の広い範囲に広が
る遺跡。遺跡の範囲は大きく3つに分けられ、
「銀鉱山跡と鉱山町」「街道(石見銀山街道)
」「港と港町」からなる。大航海時代の16世
紀、世界で流通した銀のおよそ3分の1が日
石見銀山.jpg永久精錬所跡.jpg

本の銀であり、 さらにそのほとんどが石見銀
山で産出されたものであったと言われる。 そ
の影響力の大きさを示すのが、当時ヨーロッ
パで作成された世界地図。日本の中でも「石
見銀山」は非常に大きく扱われており、 その
存在の大きさを表しています。石見銀山の特
徴は、自然を破壊せず、環境に配慮した「自
然環境と共存した産業遺跡」であることです。
そしてこれが、世界遺産として評価された重要なポイントだという。
石見銀.psd

■概要:1309年(延慶2年)鎌倉時代
に発見される。慶長から寛永年間に石
見銀山は隆盛期を迎え、大量の銀が産
出された。広範囲に広がる銀山遺跡。
■鉱山遺跡:石見銀山(1309〜大正12年)
■産出量:16世紀末から17世紀前半の最
盛期には、年間38トンの産出量があっ
たとされる。
■所在地:島根県大田市 面積436.11
平方キロ(平成17年10月1市・2町合
併)
■人 口:40,416人(2008年10月現在)
■市財政規模:212億円(平成20年度
一般会計予算)
■観光客数:100万人
■姉妹都市:大韓民国廣域、友好都
市、岡山県笠岡市
■観光ガイド:山を歩くコース
(3)、街道を歩くコース(3)
町並を歩くコース(4)など10
コースがあり、銀山の語りべガ
イドなど50人の登録ガイドがい
る。(3時間まで5,000円、山
街道コースは3〜6時間13,000円)

歴史に見る「佐渡4つの金銀山」

西三川砂金山2.jpg

a 西三川砂金山(1460〜1872年)
佐渡最古の金山で、西三川川流域がその舞台であったと考えられる。寛正元年(1460)頃より再開発が行われた。江戸時代には幕府の管轄下におかれ、明治5年(1872)までの長期にわたり砂金採取が行われた。

b 鶴子銀山(1542〜1946年)
天文11年(1542)から昭和21年(1946)まで稼働した銀山、相川金銀山が開発されるまで佐渡最大の鉱山、主に銀・銅を産出。文禄4年(1595)には、横相と呼ばれる坑道掘りの技法が伝えられ、銀の産出量が急増した。また、上杉氏の佐渡侵攻も鶴子など佐渡の金銀山掌握が目的であったといわれている。

c 新穂銀山 (1543〜1649年)
天文12年(1543)以後まもなく開発されたと考えられる銀山。慶長8年(1603)からは大久保長安により幕府による経営が行われたが、慶安2年(1649)の大盛りを最後に衰微した。

道遊割戸.jpg
相川金山・道遊の割戸

d 相川金銀山(1601〜1989年)
鶴子銀山繁栄の頃、石見から山師が来て1595年相川金山発見。16世紀から400年間稼働した日本最大の金銀山。

佐渡金銀山佐渡小判3.jpg

■概要:平安時代後期の「今昔物語」にある西三川
砂金山が最も古く、島全体に鉱山遺跡が点在する。
■鉱山遺跡:西三川砂金山、 鶴子銀山、 新穂銀山 、
相川金銀山など全部で44カ所が確認されている。
■産出量:金40トン、銀1,781トン、銅875トン
を産出(江戸時代推定)
■所在地:新潟県佐渡市:面積855.25平方キロ
   (平成16年3月1市・7町・2村合併) 
■人口:65,796人(2008年11月現在)   
■市財政規模:424億円(平成20年度一般会計予算)
■観光客数:65万6千人 
■姉妹・友好都市:中国陝西省洋縣、埼玉県入間市、
東京都国分寺市、石川県珠洲市、山梨県笛吹市、長
野県長野市、新潟県柏崎市・上越市・長岡市
■観光ガイド:エコツアー、トレッキング、名所旧
跡や町並みなど、島の各ポイントを案内する6団体
20コース(2時間2500円〜大佐渡トレッキング
は半日コース20,000円〜)

佐渡もうひとつの鉱山遺跡・田切須鉱山遺跡

津田稔男.jpg
津田稔男(つだ としお)大正13年生まれ
佐渡市田切須在住

 明治から大正時代にかけて佐渡最後のゴールドラッシュを夢見て入川鉱山、田野浦鉱山、大須鉱山などで鉱石の採掘が大規模に行なわれた。そんな中、もうひとつ大須鉱山のすぐ南西に位置する田切須にも鉱山があった。
田切須鉱山.jpg
鉱石の積出港(明治〜大正)
田切須鉱山選鉱所跡.jpg
現在の積出港跡地

 田切須に住む津田稔男さん(83歳)は、子供の頃に残っていた廃鉱跡で遊んだ記憶を甦らせる。現在の国道350号小木線沿いにある田切須地区ソロミ下の海方向に掘削後の荒れ果てた縦穴坑道がありそこで良く遊んだと言う。そんな記憶を思い起こさせるかのように、既に嫁いだ娘さんと一緒に田切須鉱山のあったことを後世に残したいと、見聞きした事を資料集としてまとめた。鉱山が繁栄した頃の様子が写った当時の写真と現在をくらべた場所の写真や坑道の様子などが紹介されている。また、地面下に掘られた坑道が崩落してできた穴に牛や地元の人が落ちてしまった話など当時の地域の様子も紹介。津田さんは、佐渡はいたるところで金山の影響が働いた宝の島。私の記憶の中には思い込みや間違いもあると思うが残すことが大切、この思いを市が受け継いで後世に伝えられるよう現場保存を行なって欲しいと話した。
田金山3.jpg
当時の諏訪神社祭り
山神神社.jpg
大正4年の大山祇神社
田切須鉱山遺跡地図.jpg
鉱山遺跡地図
佐渡金銀山map.jpg